別メニューで「施術者紹介」をざっくり書きましたが、ここではもう少し細かくお話したいと思います。お時間のある方、おつきあいください(注:長文)

【大学卒業後、不動産業界へ】

私は大学を卒業後、一時不動産業界に就職をしました。「建物・物件が好き」ということや、親がアパートの賃貸経営をしており、「後々引き継ぐことになるだろう」と思いから、その時のための勉強も含めての不動産業界への就職でした。

最初に勤めたのは不動産の売買、主に投資や相続税対策のためのマンションを売る仕事でした。当時はまだ「バブル」と呼ばれた時期で、億を超えるマンションがバンバン売れていくような時代でした。営業の方法はとにかく電話。電話帳を見て片っ端から電話して、興味を持っている方を探します。ほとんどすぐ切られます。聞いてくれるのは200件かけて一人いるかいないかくらい。これが本当にきつかった。仕事だから仕方ないけど、何十件とかけてもすぐに「ガチャン!」と切られまくり、「うるさい馬鹿」「二度とかけてくんな」などのお叱りもしょっちゅう。これが一日中、毎日続くと心が折れてきます。ハァ… とため息をついて受話器を置くと、統括本部長がギロリと睨み「受話器置くんじゃない。どんどんかけなさい」と言わんばかりの圧をかけてきます。

その会社の業務の仕組み自体はとても面白くて勉強になりましたが、そんな毎日から次第に「このままでいいのだろうか」という気持ちが芽生えてきました。

お金持ち・資産家の方に喜んでもらう仕事より、「儲からなくてもいいからもっと原始的な部分で喜んでもらえて、心からやりがい・生き甲斐を感じられて、しかもごはんが食べていけるくらいの収入があればいいんだけどな…」そんな思いがだんだん大きくなっていきました。

ある時、やっと横浜の新築ワンルームマンションの購入希望者と出会いました。若いご夫婦でした。

夜にアポイントをとり、上司とご自宅に伺いました。アポイントを取るまでのやりとりからご主人はとても乗り気な感じでしたので、「これで初めて一件契約がとれるかな」と、上司と笑顔で話しながらお客様宅に到着。しかし現実は厳しく、ご主人がご実家に購入を考えている話をしたところ猛反対されたとのことで、早々に「この話はなかったことに…」と。

これで自分の中でふんぎりがつきました。会社には何の利益ももたらすことができず、給料泥棒のまま終わってしまうことは本当に申し訳なく思いましたが、一度きりの人生を後悔したくないと決心し退職させていただきました。

余談ですが、電話営業の大変さを身をもって経験しているため、今の仕事中、多忙な時に営業電話がかかってきても、イライラしたりぶっきらぼうに切ることはできません。だからと言ってゆっくり話を聞いてあげることはできませんが、できるだけ丁寧に対応して受話器を置くことにしています。

ホントに大変なんですよ…電話営業って。。

【癒しの仕事への興味】

自分の歩むべき道を熟慮した結果、「整体」の学校に行こうと決意。当時まだ整体の学校の学費がそんなに高くなく、なんとか自分の貯金で入学できることを確認しました。

これまでの間、機会があったときに親や友達に見様見真似のマッサージをしてあげたとき、「いや~気持ちよかった」「楽になったよ」と言われたときの底知れない感動・喜び・心地よさを感じられたことを思い出したのです。「痛い」「つらい」「つかれた」などがある人を、自分の手ひとつで癒してあげられるならば、相手も喜んでくれるし自分も気持ちがいい。そんな仕事に就きたい。そう決心しました。

さて、親への申告。

「大学まで出してもらって申し訳ないんだけど、会社を辞めて整体の学校に行こうと思ってる。純粋に喜んでもらえて、自分も心から生き甲斐を感じられる仕事になると思う」と伝えました。

すると意外にも「いいんじゃないか?これからお年寄りも増えてくるし、必要とされる職業なんじゃない?」とあっさり同意。

あらためて整体学校の入学案内を何校か集めているときに、鍼灸師の資格をもつ母の友人から「医療系の道に進もうと思うなら国家資格として認められているものにした方がいい」と言われ、鍼灸師を勧められました。

「しんきゅう?」当時はまだそんな認識です。

「よくわからないけど、国家資格があったほうがよいのならその方がいいだろう。でも、基本、無手で、手の温もりを用いて癒してあげられる力も身につけたいから『按摩・指圧マッサージ』の資格もとろう」と決めました。

 

【再び不動産。学費稼ぎ】

鍼灸学校の学費は整体の学校とは桁違い。しばらくお金を貯めなくてはと、すぐに受験せず大学卒業間際にアルバイトしていた不動産会社の管理部門で働かせていただくことになりました。

ここは本当にいい会社でした。社員の方々もいい人ばかりで仕事にいくのが楽しかった。管理部で働けたのでアパート経営に関するいろいろなことが学べました。会社の木造の新築物件で、初めての一人暮らしも始まりました。

3年ほど勤めたとき、鍼灸学校の入学試験はどんなものか、とりあえず経験だけでも積んでおこうと思い受験。当時は競争倍率も高かったので一度目では無理だろうと思っていたら補欠で合格。会社に事情を話して退職し、晴れて鍼灸学生に。

【働きながら鍼灸学生】

学校は朝から昼までなので、昼から夜までの勤務形態の仕事を探し、そこで契約社員として採用していただきました。業務内容はコールセンターにおけるコミュニケーターさんのフォロー。といってもコミュニケーターのみなさんは私が入る前から働いているベテランの方々。みなさんうまいうまい電話対応。おかげさまで、ここで電話対応のノウハウを学ぶことができました。

ほんとうに、目指す業種とは異なっていても、無駄になることはひとつもありませんでした。

【見学しまくり・勉強しまくり】

平日仕事が休みの日の午後や日曜が一日空いているときは、開業鍼灸師の先生にお願いして治療見学や治療院見学、さまざまな勉強会に参加して自分の理想とする治療は何かを探しました。当時、みのさんの「午後は○○おもいっきりテレビ」によくご出演されていた故秋元恵美先生や、故松本丈明先生が解剖学的視点の鍼灸治療の勉強会を定期的に開催してくださったり、視覚障害を持つ方々の経絡治療の勉強会に毎月参加させていただいたり、学校で指圧を教えてくださっていた「指圧の鬼、そして愛の塊 榊原豊先生」に入江FTの勉強会をしていただいたり、激混みといわれる鍼灸院に身分を偽って予約を取り施術を受けたりしていました。

【お灸ってどうなの?からの玉川病院との出会い】

そんな中で芽生えた思い。

「はて…鍼ってたしかにすごく効くように思うけど、お灸ってどうなんだ?鍼に興味は持ったけど、お灸のことってまだよくわからない。鍼灸師になろうとしてるのにこれじゃダメだよね…」

そんな思いを持って本屋に行って灸に関する本を探しました。そこで出会った運命の一冊「代田文誌著 灸療雑話」。鍼も使うがお灸の凄さを学べた本。何度も何度も繰り返して読む。読むたびに新しいことに気づく(のちに臨床を経験するようになってから読んでみても、都度新たに気づくことがある素晴らしい本)。その後は世に出回っている代田先生の本はすべて購入し読みふける。何度も何度も読み返した。

この先生が用いる「澤田流太極療法」を学びたい。でも文誌先生は亡くなられている。どこかでこの治療をやっている鍼灸院はないのか学校の先生に聞いてみたが知っている人はいなかった。

ある時、鍼灸の専門誌「医道の日本」を読んでいると「鍼灸臨床生情報会」という目次から「澤田流神門」の文字を見つけた。

「澤田流??」「…澤田流!!!」

投稿者を見ると「日産玉川病院東洋医学研究センター」とある。

アワアワドキドキしながらここを調べると、なんと代田文誌先生のご長男で医師の代田文彦先生が所長となって東洋医学の研究・臨床・鍼灸師の育成をおこなっているところだと判明。

緊張でもつれる舌をなんとかコントロールしながら電話してみると見学OK。

なんと!ほんとですか!いいんですか、させてもらえるんですか見学!胸はもうドッキドキのバックバクでした。

見学日当日は、数名いらっしゃる先生方の治療をまず見学させていただき、臨床終了後にはスタッフルームでたくさんお話しを伺うことができました。そして来たる研修生採用試験を受験しようと思っていることもお伝えしておきました。

卒業年である平成7年1月、阪神淡路大震災が発生。同じクラスの仲間数人と国家試験終了後ボランティアに参加しようとなり、話が進みました。

国家試験合否発表の前に玉川病院の入局試験があり、筆記テストはちゃんとできたかよく覚えていませんが、面接のときに自分の思いの丈をお伝えすることができました。これからボランティアで兵庫県に向かうこともお伝えしました。

帰ってきて合格したことを知ったときは嬉しかった。本当に嬉しかった。

初出勤の日、スタッフの先生から「合格よかったね。ボランティア行ってきた?どうだった?」と聞いていただけました。

【玉川病院での研修】

玉川病院での研修は毎日うれしくて楽しくてどうしようもないほどでした。

日中の臨床時間中は各先生の助手につき、先生の治療を穴があくほど集中して見る。

見たこと、教えてもらったこと、思ったこと、考えたことをノートに書き込む。

家に帰って復習する。自分が患者さんをみることになった時のことを想像してあれこれ考える。枕元にノートを置いて、気づいたことや発想したことがあるとすぐにメモをとる癖をつけた。

ところがそんな日々を送っていたら、夜、興奮してなかなか寝付けなくなってしまった。寝付くのが3時とか4時で1日3時間くらいの睡眠しかとれない日々がつづき、助手についているときにウトウトしてしまうようになった。これでは本末転倒。枕元のノートはやめることにした。翌朝その内容を覚えていた時だけノートに記すようにした。翌朝それが何だったか覚えていないようでは大したことではなかったんだと思うようにした。

1年の研修期間もあっという間に終わり、ありがたいことに2年目も残れることになった。2年目からは入院患者さんと外来の患者さんを担当させていただけるようになり、先輩方のご指導を受けながら一生懸命治療させていただいた。この時受け持った患者さんが、開業後もわざわざいらしてくださり、今でも管理的にご通院いただいている方もいらっしゃいます。本当に嬉しくてありがたいことです。

玉川病院同センターでの勤務は、東洋医学のみならず病院の中に身を置けるということで西洋医学の現場を実際に目の当たりにして肌で感じることができました。臨床検査科や放射線科など院内のさまざまな科の見学をさせていただけたり、病理解剖の見学や脳血管疾患後遺症のリハビリに対する鍼灸の併用、他科でおこなわれている画像診断カンファレンスなどにも参加させていただけました。本当に言葉では言いあらわせないくらい感謝の気持ちでいっぱいです。ちなみに奥さんとの出会いもここでして、玉川にお世話になっていなかったら私の人生はまったく違うものになっていたでしょう。

約6年間、このように実際の医療の現場を学ばせていただき、さまざまな勉強や臨床の場を提供してくださった玉川病院を2001年に退職し、地元の川崎に開業いたしました。

【開業~今】

玉川でおこなっていた施術は鍼灸だけでしたが、本来手技治療(道具を使わない無手での施術)にも興味があったので、鍼灸だけでなく按摩・指圧・マッサージも開業時に施術科目として取り入れることにしました。

開業後は実践の場が増え、学びたいと思うことがまたどんどん生まれてきました。

自分以外の方々は皆「師」だと思っているので、自分が過去経験したことがないような施術経験をお持ちの方からうかがうお話はどれも新鮮で貴重で、みなさんに感謝しておりますが、こと「施術」に関して特別大きな影響をくださった先生が3人いらっしゃいます。

一人は東京・国立の似田敦先生。似田先生は玉川病院のOBの大先輩。玉川在籍中、OBの先生が臨床終了後や休日に勉強会を開いてくださることが多々ありましたが、卒業後も勉強の場を提供し続けてくださったのが似田先生でした。似田先生は解剖学や生理学を鍼灸治療の中に取り入れ、科学的に説明できるような理論をもってご指導くださいました。これは私の鍼灸師人生でとてもおおきな収穫でした。コロナにより似田先生の勉強会・講習会も令和2年度は中止になってしまいましたが、また再開されることを待ち遠しく思っています。

もう一人は名古屋の鳥居諭先生。「どこが痛いか」だけでなく「どのようなときに痛みがでるか」などを含め、運動学的連鎖の視点から、患者さんの今までの身体の変化の過程を読み解き、問題と考えられる部位・アプローチすべきポイントを洗い出す方法などは今までの自分にはなかった発想でした。また、刺鍼時の痛みを極力減らすべく前処置として行う「ミオラブ」を使った筋膜リリースや、より治療効果を出しやすくするための施術体位の工夫なども大事であることに気づかされました。

そして京都の中村一徳先生。全疾患を網羅しながら特に不妊鍼灸施術においても突出したお力をもつ先生。学識と技術が卓越しているだけでなく、お人柄・考え方・話し方など、すべてにおいて尊敬する素晴らしい方です。

私も奥さんも、いろいろな経験ののちに「鍼灸師」と「看護師」という道にたどり着き、またその仕事が落ち着くまでに相当な時間がかかってしまったこともあり、子づくりのスタートが遅れてしまいなかなか子どもができませんでした。自然妊娠→流産というつらい経験をし、その後人工授精を数回行うも結果が出ず、一度は子どもをあきらめました。仲の良い夫婦なので、

「二人の生活に時間とお金を使って、楽しく有意義に過ごしていこうね」

そう話していました。

でも、あるきっかけがあり、奥さんに確認したところ

「体外受精を一度でもいいからやっておきたい。できる限りのことはやっておきたい。ふり返ったときに後悔をしたくない。それで叶わなかったら仕方ないとあきらめられると思う」

と言われました。心から納得。

これをきっかけに体外受精にすすみ、一度目の採卵で良好胚盤胞を数個獲得し、そのうちの一個を新鮮胚移植し妊娠することができ、出産に至ることができました。

この感激した経験から、子どもが欲しくても授かることができていないご夫婦に鍼灸を用いた不妊治療を利用していただき、一組でも多くのご夫婦を笑顔にしたいと思いから「鍼灸での不妊施術」を詳しく学ぶようになりました。

そんな中、ある学会で出会った中村先生のご講演。飾ることのない真実の話と堅実な臨床から得られた確かな情報。そして甘い言葉のない厳しい内容を含みながら、それらをわかりやすく、聴く相手がしっかり興味を持ち続けられるようなお話のされ方。一発で私は心を惹かれ、「この先生の元で不妊鍼灸を勉強したい!」そう思いました。そして数年後に念願叶い会員にさせていただけました。

当時はまだ「不妊鍼灸ネットワーク」という名称で、現在は「日本生殖鍼灸標準化機関※JISRAM(ジスラム)」となりました。

出会いは偶然とか必然とかよく言われますが、それは本人次第だと思います。あたらしいこと・魅力的なこと・素晴らしいことがあったとしても、探そうとしている姿勢やそれを感受しようとする本人の強い気持ちとアンテナを張る意識がなければ自分にひっかかることなく終わってしまいます。

この先生方との出会いも、偶然でありつつ自分で掴み取った宝物だと思っています。

2021年2月現在、コロナがもっと落ち着くまでは学会、講習会、ご講演聴講はオンラインのものがほとんどになるでしょう。これはこれでしっかり受け止め、今得られる最大限のものを与えられた環境下で学んでいこうと思います。

「今日より明日」「明日より明後日」と、日々知識と技術の更新を求め、よりよい施術と治療結果を皆様に提供できるよう努力してまいります。